シンギュラリティとは何か?

シンギュラリティを話題にする人の多くは、「コンピュータが人類を超える時」という理解をしている。もしくは、「機械が人間を支配する」という理解。


そももそシンギュラリティという概念は、レイ・カーツワイルの著作「The Singularity Is Near」(邦題:シンギュラリティは近い)によって有名になった。

レイ・カーツワイルは、AIの専門家。卓越した知識と能力によって、未来の技術進歩を見抜く未来学者としても有名で、現在はGoogleの社員として働いており、AIによってメールを使ったやりとりを超簡単にするプロジェクトとかに関与しつつ、まだ未発表の「なんかすごい」プロジェクトを推進しているらしい。(なんだそりゃ?)
にしても、AIの世界的権威が、軒並みGoogleの社員だったりするので、ますますGoogleからは目を離せない 。

ところでカーツワイルの言うシンギュラリティだけど、一部の人が言っているような「AIの進化によって、機械と人類が対立する」ということを言っているのではなく、AIをはじめとする科学技術が劇的に進化することによって、人間の弱さを次々補っていくと予測している。

道具の進化が病気を克服したり、脳をアップロードしてインスタンス化することにより(IT業界以外の人が聞いたら、なんのこっちゃ?だけど)、肉体の衰えからも解き放たれる。そんなことを言っているわけだ。

人間の意識や欲望というのは、「死に至ることを運命付けられた肉体」という制約に大きく影響を受けているのは間違いない。なので、精神が肉体から解放されたら、その後の人類はどのような価値観を持って行くのだろう。

なかなか哲学的な課題で面白い。

つまり彼が一貫して言っているのは、「科学技術の進歩は、人間の能力を補う」ということであり、行き過ぎた進歩が人間と対立する存在を生み出すとは言っていない。この点は、NHKのインタビューでも彼が強く否定していたことだ。

しかし意識が肉体から解放され、コンピュータやネットワークと一体化してしまったらどうなるのか。肉体が存在しないとしても、人間は人間だろう。

とはいえ肉体が存在しないということは、生命という概念が無いわけだ。

そこが本の副題ともなっている「When Human Transcend Biology」(人類が生命を超越する時)という点なのだが、突拍子もない感じでもあり、技術の進歩が一つ一つ進むとありえる話でもあり、そこまで行くのかと懐疑的な気持ちにもなる。
同時に、本当にそういう世界が訪れたら、もしかしたら仏教的な思考で言えば、悩みや不安の無い幸福な状態なのかもしれないな、とか。色々もやもやする。

2045年。あと27年で、そんな未来が来ると彼は言っている。

今とは違いすぎる未来。機械と人間の対立などという簡単な話では無く、あくまでも、人間が、人間としてどうあるべきか。それが、今も未来も課題であり続けるのだ。

人間らしさとは何か。

まだまだ人間は、この問いに答えを出せないのかもしれない。

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