未来の教室イベントに参加して

未来の教室という壮大なテーマのイベントを、共同代表の佐々木が企画・実行し、ぼくも参加させてもらった。


考えてみれば、教育ってなんなんだろうって思う。

愛情をもって子どもたちのことを考えると、学ぶべきことなんていくらでもある。
学校の中にも、学校の外にも、たくさんの学びがある。

そこから本質を探っていくと、きっとそれは子どもたちが大人になった時に求められるもの。つまり、未来が求めているものなんじゃないかと思う。



だからということなのかもしれないけど、プログラミングを必修化するという動き。
確かにITは、これからますます重要になるだろうし、プログラミングはITを理解する基本的素養だと思うから、それ自体はありだ。

でも、ぼくたちのようにITを専門にしている会社からすると、プログラミングができるのは当然すぎて、基本的素養としか言えない。(だから初等教育での採用なんだよな)

で、同時に学ばなければならないのは、プログラミングが実現する社会に対する理解なのではないかと強く思う



例えばAIを駆使して消費者の購買を予測しようとしたら、AIの仕組みは重要だけど、それだけじゃ何にもできない。それより、なぜ人はモノを買うのか、社会は何を求めているのか。そういうことに対する理解や洞察力が、同時に重要だ。

社会の動きは、結局人間の意思の結果。
そして、人は、経済合理性だけで生きているわけではない。

喜びも、悲しみもあり。そういうことの積み重ねで生きているわけで、そこを理解することが、意外にもITにとって重要なことなんだ。

だからこそ、言葉を大切にすることや、心をこめて伝えること。
言葉から心を読み取ること、表現から気持ちを感じること。

そういうことが大切。

そうやって相手の心に率直に向き合える力は、社会のさざ波を敏感に感じる力と同じ根っこだとも言える。

型通りの言い方をするなら、それが文学だったり、芸術だったりするわけで、そういうしなやかな力が、同時に子どもたちの未来には大切なのだ。

プログラミング的な要素と同時に、ハートな部分。
テクニックと感性。



「テクノロジーとアート。
 科学とデザイン。」

田中先生は、そうやってまとめていた。

だとしても、未来はまだ誰も知らないわけだ。
まだ見たことのない未来に備えるために、本当に必要なものは何かといえば誰もわからないのだとも言える。

だから、古い価値観で言うなら「だめなこと」も、本当は「大切な何か」なのかもしれない。
子どもたちの取り組みを、少し距離をあけて見てあげて。
もちろん未来に生きる彼らについて行けるように、ぼくらも頑張って勉強しなくちゃいけない。そうやってぼくたち大人の質も上げていき、質の高い共感で接してあげること。そこが大切なんだろうな。

そして時々、子どもたちが「まだ開けたことのない扉」に手をかけるのを手伝ってあげる。

つまり、子どもの教育を考えるということは、大人の教育を考えるということだし
教育の質を高めるということは、社会の質を高めるということだ。

未来の教室には、壁も窓もなく、もしかしたら校舎すらない。
それは、この社会そのものなのかもしれない。

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