データは財産か?

人は生活のために、様々なお店やサービスを利用している。
だからお店やサービスの情報を全て集めたら、全ての人の趣味・趣向や、生活パターン、もしかしたら性格などもわかってくるのではないか。

同時に、本当にそれをやったら、なんか映画にあるような監視社会。ディストピア。そうも感じるはず。

なのにだ。そういう感覚はちゃんとありながらも、「ポイントカードありますか?」と聞かれたら、ほいほい出している。

そして、ポイントカードを抵抗感なく出してしまっているこの社会は、ディストピアに向かって突き進んでいるのか。


それを理解するために、まずデータを集めている企業について考えてみる。

例えば参加する企業の裾野が広いポイントカードアライアンスを完成したとする。しかもそのカードは、記名式なので、特定の個人が何を買っているのか、いつどこにいたのかもわかる。カードを見せれば見せるほど、つまりポイントを貰えば貰うほど、丸裸になっていく。

これは幅広い商品ラインナップをそろえるECサイトでも同じ。何をいつ買っているのか、住所・氏名は何か。いつ受け取ったのか。つまりいつ在宅しているのか。そういう情報を全て収集できていると言える。

では、データを集めた企業は、何に使うのか。

それは、ずばり自社のサービスや商品の拡販のための分析。つまり企業にとって興味があるのは、自社のサービスや商品であって、そのためには特定の個人がどうかではなく、人々・社会は何を求めているかが重要なのだ。

さらに言うなら、そうした社会の渇望に対して、自社はうまく適応しているのか。プロモーションもそうだし、社内の体制や運用は、顧客が求めていることに対応できているのか。そういうことを徹底的に考えている。

よく考えてほしい。

あまり行ったことの無い小売店に行って、勝手がわからず使いづらさを感じたり、人気の無い店舗に入って、なんとなく駄目な雰囲気を感じたり。

逆に、普段は買わないような商品を、ちょっとした陳列や書かれている説明が気になって、つい買ってしまったりとか。

つまり何かを買うということは、商品と消費者との直接的な関係にあるのではなく、そこにお店や、売り場を作っている人たちの、ほんとうにちょっとした心配りが、最終的に商品の購入につながっているのだと言える。

だからPOSデータなどの購買データであっても、データそのものに価値があるのではなく、購買データとお店のオペレーション、そして店舗(ブランド)と地域との関係。そういうことが全て関係して価値が出てくるのだ。

だから単純に様々な企業の購買情報を集めたところで、価値が出てくるわけではない。
ましてやデータがビッグだから価値があるというのも幻想だ。

そして単純にデータを統合しても、社会が見えてくるわけではない。
社会は、物質だけでできているのではなく、人の心配りや、感情でつながっているのを忘れてはいけない。

だからこそ、そこをどうやってくみ取り、どうやって表現していくか。
データを見て考えるということには、そういう意味があるのだ。

そして徹底的なデータ収集と分析が、こうしたことに使われていくのだとしたら、それは人間的な社会を懸命に作っているのだと言える。

さらに、そうやって努力している企業が、結局は人々から支持をされていく。
人が努力を諦めない限り、社会はそうやって前に進むのだ。

ポイントと引き換えにデータを渡してもいいのかについては、ちゃんと考えつつ、データがあれば何でもわかるというのは幻想だと気がつくべきだ。

社会は、物質的なつながりだけででてきているのではないからね。

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