2014年11月23日日曜日

大好きな「やつ」に

突然の別れがあったとしても、それはショックだけど、それだけでたまらなく辛いわけじゃない。考えてみるとホントに色々な思い出にあふれていて、それは「あいつがいかに思いやりがあって優しかったのか」ということを感じさせることばかりで。だから考えてしまうと、涙が止まらなくなる。それは優しい気持ちに感動してしまうというか、「ありがとうともっと言えばよかったと思うけれど、もう言えないんだと思う気持ち」が心をギュッと掴んでしまうから。

あいつとの出会いは、福岡に子会社を作った時に社員として参加してきたのがはじまりだった。開発子会社だから、東京本社からの仕事を下請け的にやるもんだという雰囲気の中、なんかもがいている感じだった。俺は親会社の社長だったわけだけど、下請け仕事ばっかりしてないで、自分で仕事取りにいきゃいいじゃんとも思っていた。だって、そうじゃないとつまんないし。で、あいつと話をして「九州で仕事をするならこの会社」と言える3社をピックアップして、知り合いを通じてなんとかアポをとり、提案書を書いて回り始めた。

当たり前だけど簡単にうまく行くわけじゃないし、最初の2社は門前払いも同然だった。門前払いで悔しいというか、ちょっと頭に来てたりしたんだけど、でも俺たち二人はそんな状況を楽しんでいて。だから「天神まで歩こうぜ。この思いを忘れないようにな。」って、日赤通りを延々何キロも「あーだ、こーだ」言いながら歩いて帰った。

3社目は、一番会社規模も大きく、まぁどちらかというと一番門前払いされてもおかしくない熊本の会社だった。なんども練り直した提案書を説明したら、対応してくれた方から、「きみたち面白いね」ってことで、その会社の新入社員向けの企業説明資料を渡された。「これ読んで、もういちど提案して」ってことだった。

なんていうのか、仕事がはじまるわけじゃなく、提案に具体的ターゲットがあるわけではなく、「自分の会社をちゃんと理解した上で何か考えろ」ということだよね。でも扉はあけてくれたわけだし、追い返されたのではなく、飴ちゃんもらって「またおいで」って言われたような感じだったわけだ。

で、もらった資料を読んでわかった。その会社は、とても人間的なことを大切にしていて、全てにおいて誠実であろうとしていることを。最初の2社は、どちらかというと収益をあげるかということを大切にしていたけど、その会社は「誠実であることが会社を支え、大きくする」と真剣に信じ、実践し、ホントに大きくなっていた。

正直、ちょっと感動したというか、なんか嬉しくなった。なので、それならそういうつもりでこっちも頑張ればいいだけだし、俺たちだって不誠実に仕事してきたわけじゃないし。

で、ちゃんと自分たちが分析した相手の価値をグラフ化して、そこから明らかになる強化すべき点を、経営的観点から大きくまとめてみた。そこから着手すべきいくつかのポイント。弱みを補うんじゃなく、強みをもっと強くする。みたいな感じで。

説明し終わったら、会社の人たち驚いてて、素晴らしいと何度も言ってくれた。で、「ちょっと考えるから」ということで、その日も手ぶらで帰った。

なんか前に進んでいる感じなんだけど、全てが一歩一歩すぎて、これは時間どんだけかかるんだろう。って、ちょっと呆然となりかけたんだけど、あいつは「俺、ちゃんとフォローしますから。まかせてください。」って、ちゃんとその後も定期的に訪問して、なんどもなんども話をして。ようやく最初の仕事をもらえたのは、最初の訪問から半年くらいたった時だった。ちっちゃな仕事だったし、それまでの訪問コストからしたら全然割にあわないんだけど、それでもあいつから「やりましたよ。受注しました。ちっちゃいですけど、第一歩踏み出せました。」って。正直、ホントに嬉しかった。

仕事が始まってしまうと、ますますその会社とあいつはいろんな話をするわけだし、そしたらますます信頼されていって、ついにはその会社のシステムを支える最重要開発会社にまでなった。

誠実だし、仲間思いだし、めげずに頑張るし。あいつとその会社は、なんかすごく似ていて、だからすごく信頼されて、おかげで福岡子会社が受注したその案件は、会社全体にとっても重要で規模も大きな案件になった。キッカケは二人で作ったわけだけど、そこまでにしたのはあいつの努力と才能のおかげ。

そんなことがその後もいろいろあって、あいつとはなんか仲間っていうか、兄弟っていうか、なんかそんな感じになったんだよな。

時代は変わったし、俺たちがやっていることの可能性も大きくって。そう思える原点は、あいつとの様々な経験だった。東京にいるだけじゃわかんないことがいっぱいあるし、経営者然として小さく収まってる場合じゃないし。だから俺自身も変えよう、変わろうと思えた。東京程度でまとまってないで、もっと大きなスケールで物を考え行動するために、やつがいる福岡を拠点にしようと決めた。

その後、本当にいろんな変革をしていった。感じている可能性と理想的なカタチというか、チームというか、ハートというか。あいつとは、なんどもぶつかったり、文句も言われたし、文句も言ったし。でもいつも最後には、「最首英裕が、そこまで真剣にやるんだったら、俺は支えますよ。」って言ってくれた。まぁ、つまりそうなんだよな。やるなら根性据えてみんなで頑張るしか、打開できないこと多いし。立ち向かおうとしている場所は、大きく高いわけだし。わかってるよ。一歩踏み出すんだったら、迷わず進むしかないもんな。

Groovenautsという会社は、俺たちにとって理想であり、夢であり。こんなに素晴らしい仲間がいて、取り組んできた経験は、もっと大きなものに活かせるはずだって。

実際、その通り会社を立ち上げて間もなく、とてつもなく大きなプロジェクトがはじまった。リリースしてから毎日、利用者が数十万人ずつ増えていって、しかもあらゆることが破格なボリュームで。何年かぶりに会社に泊まり込んで、みんなで一つ一つ対応していった。東京証券取引所のトランザクション量を超えるシステムなんだよ。わかるでしょ?

プロジェクトは、あいつが仕切ってくれた。一番ピークの時は、俺もプロジェクトに入ったし、一緒に泊まり込んだりしたし。夜中に叩き起こされたりもね。

で、ようやくわかってきたんだよ。俺たちが準備すべきこと。俺たちがリリースすべきサービスとか。あいつともいろいろ話をしたし、みんなともいろいろ話しあった。最初は小さなプロトを作って、考えていることに問題はないのか確かめたりとか。そんなことしている間にも、そのデッカイプロジェクトは毎日運用しているわけだけど、もう大きな山は乗り越えて、全てが安定して動いていた。

あいつからは、「未来のことは最首さんがやってください。足元のことは俺やりますから。」って言われ続けてきた。でも、半年くらい前かな。「俺たち、未来につながることだけやろう。足元のことも未来につながることだけやろう。」って言った。まぁ、実際、そのデッカイプロジェクトがあったから、次の手を考えられた訳なので、未来にはすごくつながっていて、そう言ったからといって何かをやめるわけじゃないし。つまり、これから取り組む仕事は、未来につながらない話はやらない。未来につながる話なのか。未来につながる相手なのか。そして、その未来は自分たちが目指すべきものなのか。

経営者としては、そう言える状況になってきたことは喜ばしいことだし、やつもわかってるはずだけど、なぜかちょっと寂しそうだった。

未来につながる種は、それから最初のバージョンが完成し、プロジェクトへの適応もはじまった。

そしてそんなタイミングとシンクロするように、やつの体が悲鳴をあげはじめ、入院することになった。

前から健康診断の結果がとても悪く、不整脈とか無呼吸症とか、なんか色々まずい兆候はあった。「なんかさ、運動とか、食事とか。考えてやれることあるじゃん。」って言っては、「そうですよね。」って笑ってた。頑丈すぎるやつってのは、結構まずいもんだな。

入院してから聞く話は、心臓がとてもよくない状態だってこと。でも、必ず回復して帰って来ると信じていた。お見舞いに言ったときも元気そうだったし、いつも通りニコニコしていたし。何ヶ月入院してもいいから、生活の心配もしないでいいから。だからちゃんと療養しろよ。って言ったんだよ。SMSで定期的にメッセージのやりとりをして、励ましたり、バカな話をしたり。あいつが入院してるっていうだけのことで、俺にとっては、気持ちは今までどおりつながっていたし。

退院が決まったっていうことは、状況が良くなったということだと思ってた。なんか、ちょいちょいネガティブなこと言うのも、まだ体力が戻ってないからだと思っていた。だから1週間前会社にきた時には、「ここまでできるほど回復してきたんだな」と正直嬉しかったけど、まだ辛そうだったのでまだまだ時間かかるんだろうと思ってた。

帰り際あいつが言った。

「絶対に成功してくださいね。」

「頑張るよ。おまえが戻ってきた時には、色々お願いしたいこともあると思う。その時に備えて回復しとけよ。」

「でも、きっとちょっと悔しいかも。」

「なんで?」

「だって、おれ参加できてないかもしれないから。」「あ、でも、きっとやっぱり嬉しいです。」

何言ってるかわかんなかった。しばらく休んで復帰したら、状況わかんなくなってるから。とか、言いたいのかと思っていた。帰り際、エレベーターホールまで見送って、やつは帰っていった。

いい感じで立ち上がってきた俺たちの製品は、いろんな可能性にあふれている。だから、ここから様々な未来のカタチを描いていこう。そう思って、みんなで開発合宿をやることにした。事前に俺たちの製品をみんなにトレーニングして、俺たちの製品を使ったからできる、わくわくするようなコンテンツを考える会をやって、そして11月19日。朝からみんなで集まり、サービスをもっと深めて、実装を行った。ほんとに未来の可能性を感じられたし、プロトタイプだけど、面白いサービスが幾つも生み出された。

夕方から近くのレストランに場所を移して発表会をやった。みんな楽しそうだった。
でも同じ日の昼くらいかな。朝から、やつに連絡がつかない。と報告を受けていた。遅くまで寝たくなるときだってあるよ。と話をしていた。

やっぱり心配だということで、様子を見にいってくれたやつの弟みたいな徳永から、発表会の後電話があった。

もう二度と、やつとは話をできないことを知った。

あふれんばかりの愛情と、誠実さと、粘り強さと。

飲むとグタグタになるし、デブだし。サッカー上手いくせに、3分しか走れず、俺が絶妙なパスしようとアイコンタクトしたら目をそらすし。でも、こうして支えてくれたこと。俺も、みんなも、いろんな人を支えてくれた。会社が生まれ変わろうとすることも。色々な経験や思いから生み出された製品も。

一緒にやりたいことは、まだまだたくさんあった。もっともっと、バカみたいなことをしたかった。

ほんとに、入江。ありがとう。いろんな思いは、まだまだ深く心に突き刺さったままだけど、頑張って前を向いて進むしかないからな。おまえの魂を受け継ぐかのように立ち上がってきた俺たちの製品「Magellan」は、きっと大きく強く育っていく。そして、おまえを愛し、おまえが愛したこの会社、この仲間は、かならず成功していくから。成功とはこういうことだと、世の中に見せていくから。ずっと見ていてくれよ。

そして、突然のことなのに、弔問に訪れてくれた多くの方々、お花や弔電をいただいた方々には、ほんとうに感謝します。お父さんとお母さん、そしておまえのことが大好きだったこんなに多くの人たちを残して死んでしまった大バカものですが、あいつはあいつなりに全力で生きました。そして、あいつの志の幾つかを、これから受け継いで生きていきます。

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